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「元気です」ウズベキスタンからご挨拶

大野友和(1973年 法学部卒/元 明治大学 経営企画部部長)

私は5月31日に成田を発ち、中央アジアのウズベキスタン共和国、リシタンという町に来ました。ここで日本語教師を始めました。
 私が日本語教師を目指したきっかけは、長く勤めた明大の仕事を退職して新たに何か社会のお役にたてることはないかと考えていたときに、ウズベキスタンに『のりこ学級』という学校の存在を知ったことです。そこには日本語を学びたい若者がおり、それをサポートする人材が圧倒的に不足している、という話でした。校長のガニシェル氏にコンタクトしたところ『是非来て欲しい』と言われました。
とはいえ日本語教育に関する知識もないのに、ただ行っても役に立ちません。そこで専門学校に通い、「420時間」講習を受け、2020年に日本語教師資格を取得しました。ところがその後のコロナ禍。海外渡航制限等で諦めていましたが、徐々に緩和されこの地に渡ることができたのです。
 

出会いに背中を押されて

 
 日本語教師を志したもう一つの出会いがありました。2013年から新潟県南魚沼市にある国際大学(International University of Japan :IUJ)の事務局長に就任し、そこでたくさんの留学生(主に東南アジアから)に出会ったことです。
彼らが日本での学習・研究を懸命にやっている姿に打たれ、なんとかサポートできないかと考えました。また、当時の学長が高名な政治学者である北岡伸一先生で、途上国の発展にご尽力されていたのです。その後北岡先生はJICAの理事長(2015~22)としてご活躍されたことは皆さんもご存じでしょう。

 

着任3週間の新米教師

 
 ウズベキスタンに来てまだ3週間を過ぎたところなのでまだ多くを語れませんが、私の日本語教育の手法は『直接教授法』というもので、日本語を使って日本語を教えるという手法でやっています(もっともウズベク語は全く知りませんので)。
言語教育は「話す」、「聞く」、「読む」、「書く」ですが、聞くのが最も習得が早く、次に話す、読む、書く(読む、書くの順番は微妙ですが)のようです。1,2歳のこどもでも周りのことばを聞いて会話を習得しますが、日本語(漢字、ひらがな、カタカナ)を読む、書くはとても難しいそうです。とりわけ「ものを数える」や時計、カレンダーの読み方には苦労しています。

 

 

両国の友好の架け橋に

 
 教室に来ている生徒たちは、高い目標をもち懸命に学習しています。
「日本の大学に行きたい」、「日本で働きたい」、「ウズベキスタンで日本語を使う仕事に就きたい」などの強い意思を持った子が多いです。生徒は7歳から18歳の少年少女が主ですが、大学を卒業してから日本語を学習に来る子もいます。
 ちなみに5月に行われた中央アジア日本語弁論大会では、この教室の生徒が見事優勝しました。また、6月4日には、駐日本ウズベキスタン大使がこちらの教室を訪問され、子どもたちを励まし、私たちボランティア教師に謝意を表していただきました。その意味でこの教室は結構注目されています。
 私はここでしばらくの間滞在し、日本語教師として活動し日本語の普及のためにお役に立ちたい、と思っています。いずれは日本とウズベキスタンの何らかの友好の橋渡しができればと考えています。  
 

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